ロンドンでの今年のEPICも3日目、最終日となった。3日目はやや軽めの内容だが、全体では例年同様、論文・展示・ペチャクチャ(自動送りのスライド紙芝居)・ワークショップそして節目ごとに挿入されるキーノートスピーチなどを中心とする、密度の高い3日間だった。言葉の壁を差し引いても印象的な話題はいくつかあった。

たとえば例年誰かしらが指摘するらしい、研究者と実務者のギャップ。この両者に橋をかけていることがまさにEPICの価値でもあり、キーノートスピーカーのひとりも「自分は研究者だが、現実に役立つことをしたい」と述べた。それでも幕間では「学者先生はすぐ小難しい専門用語を使う。こっちはどれだけ平易に言えるか知恵を絞っているのに」といったつぶやきも聞こえる(実際、私もついていくのに苦労したくちだったが)。

こんな摩擦?をみごとにかき消したと思えたのが、モデレーターの一人の発言。「EPICの議論は、どうやるか(手法や方法論)よりも、何をするか、どのように貢献できるか、大きな目的が話題の中心」。手法の話題は専門家たるゆえんでもあるが、ともすると肝心の目的が置き去りになる。これは研究者にも実務家にも言えることだ。

またエスノグラフィ界の有名人、ケン・アンダーソンをはじめ複数の話者が指摘した「加速する変化の時代にあって、これまでのエスノグラフィは成り立たなくなる。エスノグラファは何のために、どう活動するか」という課題。

常に社会の変化と、その中での「人とその生活」が大きな話題になるのは、エスノグラフィの特性なのかもしれない。新しい課題と大きな目的。そこに、また別な発表者の言葉がよみがえる。「エスノグラファはみんな楽天家。目の前にあるものを面白がるのが原点だから」。